「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年10月3日(日) 団員総会を開催。滞米中の久邇宮同妃両殿下拝謁のため、6名ナイアガラへ向かう 【滞米第33日】

渋沢栄一 日記 1909(明治42)年 (渋沢子爵家所蔵)

十月三日 晴 暖
午前七時半起床、少シク風邪気ナルニヨリ、入浴ヲ廃ス、八時半ヨリ各商業会議所会頭ト共ニ朝飧シ、今日、団員ノ総会ニ関スル要件ヲ協議ス、十時事務所ニ於テ総会ヲ開キ、要務ヲ議決ス(米国側ヘ紀念品贈与ニ関スル経費支出ノ件、常議員撰定ノ件、明日久弥宮久邇宮殿下ヘ伺候ノ件、其他諸件ヲ議定ス)午後一時半午飧シ、後大野伊之助氏及新聞記者等ノ訪問ニ接シ、三時頃ヨリ本邦留守宅篤二・武之助等、佐々木尾高・八十島等ヘノ書状ヲ認ム、又シヤトル及桑港ノ領事ヘ書状ヲ発送ス、七時半晩飧シ、後露人ノ来訪アリ、夜十二時就寝ス
此日ハ久弥宮殿下ヘノ伺候ヲ他人ニ托シ、明日此地ノ歓迎ヲ受クル事ニセシヨリ、終日旅宿ニ在テ書状ヲ認ムル事トス
横山徳次郎氏ヘ書状ヲ発シテ、児等ノ勉学ヲ依頼ス
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.156掲載)


竜門雑誌』 第267号 (1910.08) p.40-47

    ○青渊先生米国紀行(続)
         随行員 増田明六
十月三日 日曜日 (晴)
日曜日なれば巡覧日程なし
午前八時半事務所に於て総会を開く、青渊先生議長と為り、左の事項を議決す
一、久邇宮殿下に拝謁の為め一行の総代を選む事、総代は団長指名の事
二、常議員として各地商業会議所会頭之に当る事にスポーケン市に於ける幹事会に於て決定したるに付き、事後承諾を求むる事
但会頭にして永く欠席するときは他の常議員兼任の事、又常議員を設けたる故を以て船中にて定めたる各掛を廃止せざる事
三、第一回払込金は紐育迄の費用に充当したるものなれば、紐育到着の上は第二回の払込を為す事
四、実業団と同行せる米国各地商業会議所代表者及実業団の巡回する各地商業会議所会頭及其他実業団の為めに尽力せられたる人々に対し、謝意を表する為め紀念品贈与の事、其種類は甲乙丙丁に分ち、費用は正賓及専門家より支出する額と寄附金とを以て充つる事
五、一行の内に不平を続くものある由、随行員の内に於て特に甚しき様子なるが注意を要する事
六、シヤトル市に於て雇入又は附属したるものは、日本より同伴したる随行員と同一の待遇を為す事は、米国側委員より断り出たるに付き、之を承諾する事
七、昨年太平洋沿岸商業会議所代表者日本横浜上陸の日を紀念する為、一行は十月十二日紐育到着の日祝宴を開き、一行及同行米国人不残出席の事
報告
久邇宮殿下及同妃殿下には紐育に於て挙行されたるハドソン・フルトン祝典に御参列の為、御滞米遊はされしが、十月三日紐育御出発帰朝の途に就かせられ、翌四日午前七時二十分ナイヤガラ瀑布に御着あらせらるゝに際し、一行全員拝謁せん事は、クリブランド市民の定めたる歓迎日程を無にする恐あるを以て、団長は当市に残留し団長の指名に依る中野氏始め左記の六名総代として、三日の夜十時普通列車に聯結したる特別列車のインデアナ号に搭じて当市を発しナイヤガラ瀑布に到着して殿下を御待受申し上げ拝謁する事
大谷氏随行員斎藤君はミネアポリス市以後、中橋氏随行員たりし柴原君はデトロイト市以後、一行と分離したり
久邇宮殿下伺候総代人を、団長より左の如く指名せられたり
 中野武営氏 土居通夫氏 西村治兵衛氏
 大谷嘉兵衛氏 神田男爵 伊藤守松氏
 外に水野総領事 同夫人 松原領事 ローマン氏 書記として加藤辰弥氏
  以上
青渊先生に依りて指名せられたる久邇宮殿下伺候の一行は、午後十時特別列車の内インデアナ号に乗込みてクレブランド市を出発したり
青渊先生は午後ホテルに在りて訪客に接せられ、且信書を認められたり
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.173-174掲載)


渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.191-247

 ○第一編 第五章 回覧日誌 東部の上
     第九節 クリーブランド
十月三日 (日) 晴
午前十時半事務所にて総会を開く。中野委員長より久邇宮殿下奉伺に就て相談あり、団長の指名を求むる事と成る。即ち中野・土居・西村・大谷・伊藤・神田、及加藤氏等六名の外に、水野総領事及夫人・松原領事及ローマン氏同行の事と決す。(詳細別記)次で中野委員長より、常議員を設け、各会議所会頭・副会頭を以て之に充つるにつき提案あり、可決承認す。次で会計の報告を為し、尚旅行中費用の外、主人側に対して具体的に謝意を表する件に付き、概略の予算に付て協議あり。宿題として次会に討議する事とす。尚ほ松村氏より、太平洋沿岸の実業団が、日本に着せし当日を期して、紀念会を開かんと云ふ動議出で、即ち満場一致を以て十月十二日紐育着当日、ホテルに於て同行米国人ローマン氏以下を招ぎ、午饗を共にして三鞭酒を挙ぐる事に決す。
久邇宮同妃両殿下参伺の一隊は、午後十時より列車に乗込み、同夜深更当地を発す。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.191掲載)


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