「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年10月2日(土) クリーブランド到着、ロックフェラー邸庭園等を見学。渋沢栄一、元国務長官ジョン・ヘイの墓前に献花 【滞米第32日】

「クリーブラント商業会議所」徽章

 「クリーブラント商業会議所」徽章
(「紀念牌及徽章」 (『渡米実業団誌』巻頭折込)掲載)


渋沢栄一 日記 1909(明治42)年 (渋沢子爵家所蔵)

十月二日 曇 寒
午前五時頃汽車クリブランドニ着ス、七時起床、朝飧ヲ食シ、九時地方歓迎員ノ案内ニテ市内ノ旅館ニ抵ル、地方新聞記者来リテ談話ス、十二時半旅館内ニテ此地商業会議員ノ催ニ係ル午飧会アリ、食卓上市長ノ演説アリ、依テ答辞ヲ述ヘ、食後自働車ニテ市内ヲ遊覧シ、公園ヲ散歩ス、午後四時、前ノ州知事タリシヘリツク氏宅ニテ茶菓ノ饗応アリ、畢テコントリ(ー)倶楽部ニ抵リ、商業会議所ノ催フセル晩飧会ニ出席ス、食事後舞踏会アリ、夜十一時頃旅宿ニ帰ル、此日ノ案内ハ終日商業会議所会頭ブロス氏ニシテ、兼子・頭本氏同伴セリ、風強クシテ寒気面ヲ冒スノ感アリキ」
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.156掲載)


竜門雑誌』 第267号 (1910.08) p.40-47

    ○青渊先生米国紀行(続)
         随行員 増田明六
十月二日 土曜日 (晴)
午前一時デトロイト市を発し、同七時クレブランド市に到着す、直に朝食を済まし、九時出迎の自動車に青渊先生以下一同分乗して、ホテル・ホレンデンに向ふ、正午同ホテルに於て略式午餐会あり、商業会議所会頭ブテツシユ氏・市長ジヨンソン氏歓迎の挨拶を為し、青渊先生一行を代表して謝辞を述ぶ、会散じて後一行歓迎委員と共に、思ひ思ひ自動車を馳せらして景勝の地を巡覧す、青渊先生は先づ市街を縦覧して、有名なる石油王ロツクフヱラー氏の寄附にかゝる幽邃なる公園を過ぎて、同氏の別荘に到り、門内に自動車を乗り入、暫時休憩の後集まれる一行の自動車十数台列を為し、先頭の自動車にはロ氏自ら乗り込みて先導を為し、奇巌怪石の間を過ぎ、広漠たる平野を過ぎ、鬱蒼たる深林を通過し、際涯なき耕地の中間など約十哩を馳せ、漸く元の門に帰着したるが、始より終り迄邸内に在るの感を抱くこと能はさりし、此邸内面積四百五十英町なりと云ふ、クレブランド市は偉人の淵叢地として、有名なるロツクフエラー氏、現大統領タフト氏、ジヨン・ヘイ氏は何れも邸宅を此市に有せり
青渊先生はロツクフエラー氏邸を辞して、公園内の美はしき墓地に至り、ガーフヰールド大統領の墓を拝し、夫れより前知事ヘリツク氏邸のレセプシヨンに臨み、一旦ホテルに帰り服装を替へ、更に六時カントリー・クラブに到り、七時より晩餐会に臨む、司会者商業会議所会頭ブラツシユ氏の歓迎演説ありて、青渊先生一行代表演説、外三四の演説あり、畢りて舞踏会に移り、水野総領事夫人日本人を代表して舞踏す、此日終日商業会議所会頭ブラツシユ氏は、青渊先生と自動車を共にして種々説明の労を取られたり、午前一時散会、ホテルに帰着す
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.172-173掲載)


渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.191-247

 ○第一編 第五章 回覧日誌 東部の上
     第九節 クリーブランド
十月二日 (土) 晴
午前九時クリーブランド商業会議所員の歓迎を受け、各自働車に分乗しホテル・ホルレンデンに入り、正午同ホテル内の略式午餐会に列す。席上商業会議所会頭ブラッシ氏・市長ジョンソン氏等の歓迎辞あり、前大統領ガーフヰルド氏の令息にして、ルーズベルト内閣の一員たりし、ガーフヰルド氏も亦列席せり。
昼餐後一同は、自働車に分乗し、先づ市内の重立ちたる街路を見物し、後ち石油王ロックフェラー氏の庭園を参観し、二時半頃婦人連と合し、共に公園其他を巡覧す。当市は元来非常に樹木多く、市人呼んで森林市と云ふ。ウヰツド公園の入口には、ケース理科学校あり。広大なる石造家屋にて、米国中第一の専門学校と称せらる。夫れよりゴルデン公園を過ぎ、更に三百五十英加ありと云ふ大墓地に到る。此時渋沢男は前国務卿故ヘイ氏の墓に詣で花環を捧ぐ。蓋し日露戦役中、同氏の日本に対して表したる友情に酬ゐしなり。ガーフヰルド将軍の霊廟亦此処に在り。夫れより前知事ヘリック氏の私邸に招かれ、懇切なる茶菓の饗応を受け。六時頃同家を辞して田園倶楽部の略式晩餐会に臨む。会後舞踊数番あり。主客歓を尽して、散会深更に及ぶ。
今朝十時より中野・土居・南・巌谷・伊藤の諸氏は、当市より三十哩を隔てたる、エリー湖畔のスタル・エンド・ハリソン園芸会社を訪ひ、広大なる花圃・菜園等を巡覧す。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.191掲載)


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