「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年9月26日(日) ガンソーラス博士の説教を聴講、領事官邸での茶話会など 【滞米第26日】

同市ジヤクソン公園内の古屋

「同 [シカゴ] 市ジヤクソン公園内の古屋」
巌谷小波著『新洋行土産. 上巻』(博文館, 1910.03)巻頭グラビア掲載)

 

渋沢栄一 日記 1909(明治42)年 (渋沢子爵家所蔵)

九月二十六日 晴風 冷
午前六時半起床、直ニ入浴シ、畢テ日記ヲ編成ス、八時朝飧ヲ食シ、後家人等ト撮影ス、柳原寿三郎氏セントルイヨリ来訪ス、又東京瓦斯会社員前田某来話ス、十一時オーデトリヤム劇場内ニ於テ、カンソーラス博士ノ耶蘇教カ東洋ヨリ得タルモノト題スル演題ニテ説教アリ、畢テ旅館ニ帰ル、午後一時ホテルニテ午飧シ、二時過ヨリ堀越氏・中野氏等ト松原領事○松原一雄ヲ訪問ス、午後四時過旅亭ニ帰リ、シヤトル領事田中氏、及ホートランド領事沼野氏ヘ書状ヲ発送シ、且寄附金合計六百弗ヲ郵送ス、又桑港領事ニ書状ヲ発ス、午後七時此地ノ青年会館ニ抵リ、晩飧ノ饗ヲ受ク、神田・渡瀬・田村・石橋ノ諸氏同行ス、食卓上一場ノ謝詞ヲ述ヘ夜十一時帰寓ス
   ○九月二十七日ヨリ十月一日マデ記事ヲ欠ク。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.156掲載)


竜門雑誌』 第266号 (1910.07) p.38-44

    ○青渊先生米国紀行(続)
         随行員 増田明六
九月二十六日 晴 (日曜日)
朝食後写真師来り、青渊先生及令夫人に是非にと懇請して、撮影し去れり、青渊先生にはホテルに於て東京瓦斯会社々員前田氏と会談、十一時直隣りのオーデトリアムに抵り、世界に名高き大説教家ガンソーラス博士の基督教が東洋より得たる者は如何と云ふ演題の説教を聞き旅宿に帰られ、午餐後領事松原一雄氏邸を訪ひ、午後七時基督青年会の招待に応じ、同会館を一覧の上、大学倶楽部に導かれて晩餐の饗を受け、一場の謝辞を述べられて帰宿せらる。
東京基督青年会の丹羽清次郎氏、欧米旅行の途中当地に来り会し、同席に列せられたり。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.162-163掲載)


渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.191-247

 ○第一編 第五章 回覧日誌 東部の上
     第一節 シカゴ市
九月二十六日 (日) 晴
午前十一時アウヂトリアム会堂に於て、ガンソーラス博士の説教を聴く。博士は耶蘇教が東洋より得たるものなる題の下に、特に一行の為めに所見を述べたり。午後二時よりは、一同松原領事の官邸の茶話会に臨み、後ちジャクソン公園など見物して帰る。尚団員の一部は、夜六時より当市青年会館を参観し、大学倶楽部に於て晩餐の饗応を受く。出席者は団長以下神田男・巌谷・西村・西池・石橋・原林・熊谷の諸氏なり。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.188掲載)


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