「渡米実業団」日録

情報資源センター・ブログ別館

 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年9月24日(金) コングレス・ホテルに宿泊し、銀行・家畜市場・鋼鉄工場等を見学 【滞米第24日】

シカゴ市リンコルン公園

「シカゴ市リンコルン公園」
巌谷小波著『新洋行土産. 上巻』(博文館, 1910.03)巻頭グラビア掲載)

 

渋沢栄一 日記 1909(明治42)年 (渋沢子爵家所蔵)

九月二十四日 晴 冷
午前七時起床、支度ヲ整ヒ観覧車ニ出レハ、シカゴ市ノ人多ク歓迎ノ為メ来会ス、朝飧ヲ車内ニ於テ食シ、畢リテ直ニ自動車ニテ旅宿コングレス・ホテルニ抵ル、七年前投宿セシ、オージトリヨム・ホテルノ改名セルナリ、十時地方人士ノ案内ニテリンコールン・パルクヲ一覧シ、第一国立銀行ニ抵リ、地方有数ノ銀行家ニ会見ス、後ストツクヤード内ノ倶楽部ニ抵リテ午飧ス、食後一場ノ謝辞ヲ述ヘ、夫ヨリ汽車ニテゲリーニ抵リ、大規模ノ製鉄工場ヲ見ル、汽車自由ニ場内ヲ通過ス、畢テ旅宿ニ帰リ、晩飧シテ、直ニ衣服ヲ改メテ劇場ニ抵リ観劇ス蓋シ当地商業会議所会頭スキンナー氏ノ案内ニ係ル、夜十一時過観劇畢テ帰宿ス、此夜ノ演劇ハ時々舞踏ヲ為スモノニシテ、特ニ本邦ノ少女ノ如ク扮シタルモノ多ク、其風采容儀ハ頗ル拙劣ナリキ
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.155掲載)


竜門雑誌』 第266号 (1910.07) p.38-44

    ○青渊先生米国紀行(続)
         随行員 増田明六
九月二十四日 晴 (金曜日)
午前五時シカゴ市ラサール停車場に到着す、車中にて朝餐の後九時歓迎委員に迎へられて自働車にて旅宿コングレス・ホテルに抵る、青渊先生・同令夫人が七年以前欧米漫遊の際投宿せられたるオーデトリアム・ホテルの改名せるなりき、青渊先生は十時歓迎委員の案内にてリンコルン・パークを一覧し、第一国立銀行に抵り、同市有数の銀行家に会見す、後ストツク・ヤード(ストツク・ヤードは屠獣会社の集りたる処にて五会社あり、孰も牛・羊・豚を屠殺して、生肉の儘又は燻肉・缶詰等に為して、米国内は素より海外までも輸出する有名の会社なり、生等の観たる時は幾十頭と無き牛が一列を為して屠場に逐ひ込まれ、順次鎖で一脚を縛せられ逆に吊り上げらるゝや否や、屠手は鋭利の刀を以て咽喉を切断して屠殺し、直に之を次の場処に吊したる儘順次に送附して、皮を剥き、腹を割き、臓腑を去り、箒にて洗ひ、冷蔵庫へ貯蔵せられたり、一日屠殺の数平均千八百頭なりと云ふ、豚殺しの場処は惨酷の状寧ろ見ざるに若かすとて見物を見合はせたり、青渊先生は此前旅行せられたる際一覧したればとて、全く此見物を止められたり)内のサツドル・エンド・サーロイン倶楽部に抵りて午餐の饗を受け、食後一場の諭辞を述べられ、夫れより汽車にてインデアナ州ゲリーの大鋼鉄工場に抵り業務を一覧せらる、構内は鉄道縦横に貫通して如何にも大規模なるには驚嘆したり、見畢てホテルに帰り、晩餐の後ホテルの直隣なる劇場へ商業会議所会頭スキンナー氏の案内にて観劇に赴き、十一時帰館せらる。
シカゴ市は人口二百五十万を有し、米国第二の都会なれば、十階、廿階の大厦高楼櫛比して、道路には馬車・電車・高架鉄道縦横に馳せ違ひて、人道の雑踏も亦甚しく、轟々として耳の聾せんかと疑はれたり、併し煙中空を馳せ、風塵衣袂を掠むるに至ては、不愉快の感を禁する能はざりし。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.161-162掲載)


渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.191-247

 ○第一編 第五章 回覧日誌 東部の上
     第一節 シカゴ市
九月二十四日 (金) 晴
午前八時四十五分シカゴ市ラサール街停車場に着。当市の歓迎委員と接見し、同九時更に特別仕立の汽車にて、家畜市場ストツク・ヤードに赴き、世界第一と称せらるゝ屠獣場、及缶詰製造所を巡覧の後「サッドル・エンド・サアロワン」倶楽部に於て、午餐の饗応を受く。而も屠獣場の惨況、尚眼底に存せるが故に、折角の美肉にも常の如く舌を鳴らす者稀なり。午後一時十五分特別列車にてインデアナ州、ゲリー製鉄所を参観す。午後六時シカゴ市に帰り、直にコングレス・ホテルに入る。
同夜八時より、一同歓迎委員の案内を受け、スツードベーカア劇場を見る。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.187掲載)


参考リンク