「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年9月22日(水) ウィスコンシン大学(マディソン)、皮革会社、ビール会社等(ミルウォーキー)を見学 【滞米第22日】

渋沢栄一 日記 1909(明治42)年 (渋沢子爵家所蔵)

九月二十二日 雨 冷
午前七時起床、支度ヲ整ヒ、朝飧ヲ食ス、八時半マヂソンニ着ス、ウエスコンシン大学ヨリ歓迎ノ人、車中ニ来リ、州知事モ来リ迎フ、自働車ニテ大学ニ抵リ、総長ノ案内ニテ校内ヲ一覧ス、日本ヨリ来リテ修学スル学生ニ一場ノ訓示ヲ為ス、夫ヨリ農科大学ニ抵リ牛馬飼養ノ方法及牛酪・バタ等製造ノ方法ヲ見ル、畢テ総長ニ謝詞ヲ述ヘ、再ヒ汽車ニテ午後二時半ミルオーキー市ニ着シ、地方歓迎員ノ案内ニテ製革所及麦酒醸造所ヲ見ル、何レモ規模宏大ナリ、後ホテル・ロヰスターニ投宿ス、夜七時半当地商業会議所ノ催ニ係ル宴会ニ出席ス、来会者無慮三百名、州知事・市長・陸軍中将等ノ来会アリテ、饗宴最モ鄭重ナリ、主人側ニハ司会者・知事・市長・中将等ノ歓迎演説アリ、依テ答辞演説ヲ述ヘ、十二時過散会
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.155掲載)


竜門雑誌』 第266号 (1910.07) p.38-44

    ○青渊先生米国紀行(続)
         随行員 増田明六
九月廿二日 晴 (水曜日)
午前七時三十分マデソン市に着す、車中朝食を終り、青渊先生外一同八時三十分自動車に分乗してウヰスコンシン大学を参観す、現在学生四千五百名、内女学生千五百名なりと云ふ、邦人の在学生九名は一行を校庭に迎へ、総代富本茂氏簡単なる歓迎演説を為す、青渊先生即一同に対し訓戒的演説を試まれたり、夫より大学総長は一行を講堂に誘ひ、一場の歓迎演説を為す、神田男爵答弁を述べられる、目下暑中休暇の為め各分科共授業なきを以て此が見物を略し、先づ図書館を一覧し、農科大学に到りて各種の乳牛・肉牛・耕馬・輓馬・乗馬等に就き分科大学長の説明を聞き、又学生実験の為め備付けられたるバタ製造所を見、更に学生の実験に供する嶄新なる各種の農具を見たり、分科大学長の説明に依れば、此農科大学は勿論各分科に於ても社界に要用と認むる新機軸の発見事項は、直に之を此州に発表して実行せしむると云ふ、故に此大学は州の事業と密接の聯絡を為し、州に於ける問題は必ず大学に諮問する規定なりと云ふ、畢りて汽車に帰り、十一時三十分ミルオーキー市に向て発車す。
車中にて午食、二時十五分ミルウオーキー市に着す、青渊先生以下歓迎委員の案内にて自動車に分乗し、先づヒフイスター・バウゲル皮革会社に到り、生皮の煮沸・冷却・引き延し・鞣・仕上等順序に参観す(此会社一日の製革牛馬併せて一万五千枚なりと云ふ)畢りてパブスト麦酒会社の業務を一覧して、麦酒の饗を受け、ミシガン湖辺の公園を巡遊して、午後六時半ホテル・ヒフイスターに投宿す、七時半同ホテルに於て商業会議所の催に係る晩餐会に出席せらる、来会者無慮三百余名、州知事・市長及日露戦役の際我国に従軍したる陸軍中将マクカーサー氏等の来会ありて、饗応鄭重なり、主人側に於ては商業会議所会頭ベル氏司会者として挨拶を為し、夫れより知事・市長・中将の演説あり、終りに青渊先生が答辞を述べられ、十二時散会す。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.160掲載)


渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.176-185

 ○第一編 第四章 回覧日誌 中部の一(往路)
     第十五節 マヂソン及ミルヲーキー市
九月二十二日 (水) 晴
午前七時半マヂソン停車場に着。同九時歓迎委員来り、四台の特別電車に分乗し、市街を経てウヰスコンシン大学に向ふ。まづ歴史参考館前階に集り、大学総長フォン・ハイス氏の歓迎辞を受く。中に左の語あり。
  『日米両国の親善は、教育家殊に大学に依りて唱導さるゝこと最も多し。我大学も其点に於て多少貢献せる処あるを信ず。現に米国に於て、大学内に国際倶楽部を興せしは、我が校を以て嚆矢とす。明年の万国平和会議には、是非当大学校よりも代表者を派せん心算なり。』云々
次に神田男一行を代表して答辞を述ぶ。又同大学在学の日本学生総代として、富本茂氏歓迎辞を述ぶ。渋沢男は答辞をかねて奨励の辞を為し、夫れより機械科・法科・化学科等を巡覧し、更に農科大学を訪ひ、種牛の優等なるものを示さる。
婦人の部 婦人歓迎委員により、女子部校舎を参観の後、校長フォン・ハイス夫人宅にて、茶菓の饗応を享けたり。
午前十一時半再び列車に乗じ、当州知事ダビッドソン氏同乗し、直にミルヲーキー市に向つて発す。
午後二時ミルヲーキー停車場に着、一同は自働車に分乗して、先づピスタア・エンド・フォーゲル製革会社、及有名なるパプスト麦酒会社を見物し、後湖岸を過ぎて、ホテル・ピスタアに入る。
午後七時より同ホテル内に盛大なる晩餐会あり。席上知事ダビッドソン氏・市長ローズ氏、及我満洲軍に従ひ観戦将校たりし、マク・アーサー将軍等の歓迎辞あり、渋沢・神田両男答辞を述ぶ。
婦人の部 夕刻ヤング夫人方に招かれ、晩餐を饗せらる。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.186掲載)


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