「渡米実業団」日録

情報資源センター・ブログ別館

 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年9月12日(日) 見学をキャンセルして委員会開催、夜は晩餐後に観劇 【滞米第12日】

スポーケン商業会議所徽章

 「スポーケン商業会議所」徽章
(「紀念牌及徽章」 (『渡米実業団誌』巻頭折込)掲載)


渋沢栄一 日記 1909(明治42)年 (渋沢子爵家所蔵)

九月十二日 晴 冷
午前七時起床、支度ヲ整ヘテ朝飧ヲ食シ、後一室ニ於テ委員会ヲ開キ要件ヲ議決ス(六商業会議所会頭ヲ常議員トスル事、毎日曜日ハ可成委員会及総会ヲ開キ要務ヲ協議スヘキ事、随行員ハ可成順次ニ宴会ニ出席セシムへキ事、専門家ハ勉テ実地ノ調査ニ従事スヘキ事、其他共同経費支弁ノ方法、又ハ紐克滞在時日延引ノ事等ヲ報告シ、畢テ午飧ヲ食ス、食後地方人ノ案内ニテ市街ヲ遊覧シ、夜飧後当地ノ劇場ニ案内セラル、劇場ノ規模小ナレトモ、東京ノ有楽座ニ比スレハ大ニ優レリ、演劇モ亦観ルヘキナリ、畢テ汽車ニ抵リ車中ニテ就寝、翌暁八時半ヨリ汽車ボタラツチニ向フ
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.101掲載)


竜門雑誌』 第265号 (1910.06) p.49-58

    ○青渊先生米国紀行
         随行員 増田明六
九月十二日 晴 (日曜日)
此日は寺院礼拝を随意とせり。
午前九時よりホテルに於て委員会を開く、青渊先生議長となり、六商業会議所会頭を常議員とする事、毎日曜日は可成委員会及び総会を開き要務を協議すべき事、随行員は可成順次に宴会等に出席せしむべき事、専門家は勉て実地の調査に従事すべき事、其他共同経費支弁の方法を了議し、又紐育滞在日数一週間延期の事等を報告せられたり。
午前十一時より一行は特別電車に乗じて近在遊覧を為し、及ハイデン湖畔の旗亭に於て商業会議所催の午餐の饗を受け一旦帰宿す、午後八時同所案内にてヲルフアーム座芝居見物を為し、十一時汽車に帰る。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.107掲載)


渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.101-129

 ○第一編 第三章 回覧日誌 西部の一
     第七節 スポケーン
九月十二日 (日) 晴
当市の歓迎順序に依れば、午前は各製造会社、工場等を参観し、午餐の饗応ありて、午後も各所見物の筈なりしも、我が団の都合に依りて、昼間のプログラムを廃されたき旨同市商業会議所に交渉し、快諾を得たり。依りて午前九時半より、スポケーン・ホテル内、団長室に於て委員会を催し、凝議午後に至る。尚ほ引続き総会を催す筈なりしも、時間の都合にて延期せり。
前記委員会の内容は、
  一、随員新規傭入れを制限する事
  一、随員外の者を列車内に同伴することは、短時間と雖も遠慮すべき事
  一、給仕人の心付の件
午後四時より渋沢男・石橋氏の両氏は、同市日本人会の請に応じ、同市商業会議所の一室に於て演説す。午後八時より一同「アウヂトリアム」座に観劇す。但し商業会議所の案内なり、劇名は『サーカスの娘』と云ふ、即ち団長より主人公ポーシイに扮したる女優に花束を贈る。十一時頃特別列車に帰る。
一行中南博士・渡瀬・紫藤の三氏は、マンス氏の案内により有名なる当地のヴルマン農学校を参観し帰途モスコー農園を視察したり。
曩きに一行より別れてシヤトルに滞在せし原博士は、此日当所にて一同に会せり。
婦人の部 午前はホテル内に休息し、午後よりグラスゴー氏の催しにかゝる晩餐会に出席し、午後八時よりは、男子側と共に観劇に赴く。
各専門家研究の必要上、自今左の如き分課を定めて取調の便宜を謀る事とせり。
一、銀行業(ギルマン氏担任)渋沢男・左右田氏・神野氏
二、輸出入商(グリーン氏・ハイド氏担任)岩原氏・大谷氏・堀越氏・田村氏
三、絹綿貿易業(グード氏・グリーン氏担任)西村氏・坂口氏・町田氏
四、農業園芸(マンス氏担任)南氏・渡瀬氏
五、綿糸業(グード氏・グリーン氏担任)日比谷氏・高辻氏
六、株式業(ギルマン氏担任)中野氏・小池氏・岩本氏
七、造船業(ロウゼンバーガー氏担任)松方氏
八、土木建築業(右同上)原(林)氏
九、車輛製造業(マンス氏担任)上遠野氏
十、人造肥料業(マンス氏担任)多木氏
十一、電気業(ロウゼンバーガー氏・マンス氏担任)原竜太
十二、市制(エリオツト氏担任)松村氏
十三、教育(グード氏担任)神田男・巌谷氏
十四、医学(グード氏担任)熊谷氏
十五、商業会議所(オスボーン氏担任)中野氏・高石氏・西池氏
尚ほ左の三項に付き若し必要あらば、米国側に於て、左記の人々質問相談に応ずべき事とす
器械 ストールマン氏、食料品 ハイド氏、米国関税 エリオツト氏
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.113-114掲載)


参考リンク