『渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.14-72
是に於て東京商業会議所は、便宜上主人役と成り、出発前準備の相談会を其楼上に開き、団員を会合して協議数回を重ね、八月十日を以てまず本団の名称を渡米実業団と定む、こは米国側より命名せるものを本として、之を意訳せるものなり。
団称已に定まる、次で起れるは団の徽章問題なり。即ち其図案及び鋳造方を東京高等工業学校に依頼せしに、同校は恰も暑中休暇中なるに拘らず、某教授専ら之を担任して製作し、日米両国の親交を表して特別の徽章を製作し、出発の当日は団員悉く之れを佩用し、渡米の後も団員は勿論、米国の接伴委員、其他各地に於て歓迎せる米国官民の重なる者に贈与する事となせり。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.32-33掲載)
プロフィール欄にも掲載しているエンブレムは、巌谷小波著『新洋行土産』下巻の背表紙を基に、2009年7月の時点で確認できたいくつかの情報を加味しながら、徽章のイメージを伝えるために再構成したものです。(2009.08.10記)