「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1911(明治44)年12月17日(日) 渡米実業団第2回記念会〔2〕 - 飛鳥山渋沢邸での午餐会と帝国劇場での観劇

渋沢栄一 日記 1911(明治44)年 (渋沢子爵家所蔵)

十二月十七日 晴 寒
○上略 此日ハ一昨年米国ニ渡航セシ実業団員諸氏来会ノ約アリテ、午前十時頃ヨリ続々参集ス、囲碁ノ余興アリ、又庭園ヲ散歩シ、書画類ヲ展覧ス、午後一時午丈ハ、一同食卓ニテ会食ス、畢テ又囲碁アリ、五時頃ヨリ皆自働車ニテ帝国座ニ抵リ観劇ス、夜十一時帰宿ス、此日会スル者男女三十一人許リ、水野夫妻、神田・堀越氏等モ夫妻共ニ来会ス各歓ヲ尽シテ去ル
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.468掲載)


竜門雑誌』 第283号 (1911.12) p.44

○渡米実業団の第二回紀念会 [12月16日より・前略] 十七日は午前中より飛鳥山青渊先生邸に会し、以て忙中一日の閑を太平洋船中の和楽に擬し、昼食を共にし、夜は一同打連れて帝国劇場に観劇せられたりと云ふ。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.468掲載)


『竜門雑誌』 第284号 (1912.01) p.77-79

○渡米実業団紀念会
[12月16日より・前略]
超へて十七日は一行が無事横浜に上陸したる紀念日なりしかは飛鳥山青渊先生邸に於ては可成深き印象を残さんとて、室内に船中喫煙室に擬したる装置を設け先生及同令夫人主人役となり、午前中より前日来会の諸氏及一行に加はりたる神田男爵夫人・水野夫人・堀越夫人の諸氏を招待して午餐会を催し席上渡米中の失敗談其他懐旧談等あり、午後は別室に於て囲碁・将棋等の興あり、又一同庭園に下りて紀念の撮影を為し充分の歓を尽したる上、午後四時より自動車を聯ねて帝国劇場に到り、晩餐を取り観劇を共にして十一時目出度紀念会を終りたり
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.469掲載)