「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1911(明治44)年1月30日(月) ロサンゼルス商業会議所より東京商業会議所へ返礼の決議文が送られる 【『渋沢栄一伝記資料』第32巻掲載】

東京商業会議所月報』 第4巻第3号 (1911.03)

    △羅府商業会議所の決議文
昨年十二月中旧渡米実業団員相会し、同団員の帰朝一週年祝宴会開会の際、米国太平洋沿岸各商業会議所に対する感謝決議文を決議発送したるに、今回羅府商業会議所より左の決議文を渋沢男爵・中野会頭へ発送し来れり
 謹啓、昨年十二月十七日付渡米実業団帰朝一週年祝宴会席上に於て御決議の貴翰接手仕候
 当会議所は米国旅行が斯くの如き愉快なる感想を貴国に与へたると等しく、当所並に其当時親しく接待するの光栄を得たる人士並に一般米人は同様の愉快を記憶致居候
 当所は貴団の訪問は単に普通観光に非らずして、偉大なる使命を有せられ、両国民間の親交を増進し、通商貿易を助長する上に於て、其効の如何に大なりしやを確信致居候
 昨年度に於ける貴国商業は、著しく発達せられたる事を承知仕り、慶賀の至りに堪へず候、当所は近き将来に於て当市サンペドロ港と貴国間との直通航路開かれ、当地方の特産なるインペリアル・バアレー棉花は当港より直接貴国の需要者に供給せられ、又米国に於て消費せらるゝ日本商品は、当港を経て広く米国の各地に輸送せられんことを希望に堪へず候
 貴団当国訪問の節、当会議所を代表して随伴の栄を得たる前会頭ウイリス・エイチ・ブース、並に評議員ヘンリー・オスボーンの両氏は親厚なる御指導と光栄とに対し鳴謝致居候
 当会議所は当国又は何れの国に於ても、苛も両国間の不祥なる事件攪乱者の生する事あるも、両国間の平和親交は永久に維持せられ、殊に通商の増進は和親の好媒者たるを以て益発達せんことを望み、且つ必らず実現せられんことを確信する処に御座候
 実業団の無事御帰朝の祝宴席上の御懇厚なる決議に対し、当所は日本実業団に対しては団体としても、又個人としても常に最高の敬意を表し居り、茲に謹んで意味深長なる貴国語の「万歳」なる文字に附加するに、我が諺言なる「将来の祝福」とを表呈致候 敬具
  千九百十一年一月三十日
         米国加州羅府商業会議所
           会頭  ジヱームス・スローソン(手署)
           書記長  フランク・ウヱギンス(手署)
    東京商業会議所
       会頭中野武営殿
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.467-468掲載)