「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1910(明治43)年3月28日(月) 第2回渡米実業団残務整理委員会開催

渋沢栄一 日記 1910(明治43)年 (渋沢子爵家所蔵)

三月二十八日 小雨 軽暖
○上略 午後一時半商業会議所ニ抵リ、渡米実業団(残)務委員会ニ出席シ、要件ヲ議決ス ○下略
  ○一月十日ノ日記ヲ欠ク。

(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.456掲載)


渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.623-629

 ○第三編 報告
     第十章 残務整理
[前略]
   第二回委員会
残務整理主任水野総領事は、帰朝以来其整理に鞅掌せしが、其整理も略ば進捗せしを以て、愈々四月六日出帆の地洋丸にて、紐育へ帰任の途に上るに付き、明治四十三年三月二十八日、東京商業会議所内に、第二回委員会を開催す。当日の出席者左の如し。
   渋沢男爵・中野武営・大谷嘉兵衛・日比谷平左衛門・佐竹作太郎・岩原謙三・根津嘉一郎・水野幸吉・巌谷季雄・加藤辰弥
欠席者
   土居通夫・西村治兵衛・松方幸次郎・上遠野富之助
午後二時開会、中野委員長開会の主旨を述べ、残務整理の現況に付ては各主任より左の如く各々報告ありたり。
渡米実業団誌 巌谷主任は原稿六百余頁を示して、編纂の状況を説明し、印刷は之れを東京商業会議所副会頭大橋新太郎氏の好意により、同氏の経営せる博文館印刷所に於て担当する事に決し、印刷製本出来の上は、団員其他へ配布し、残余は之れを博文館にて売捌き、収益ありたる時は、不足予備費に繰込む事に協議決定せり。
感謝状 水野主任前述意匠により、高島屋にて製織せる見本感謝状を示して説明し、一同の批評を乞ひ、一同満足の意を表したり。尚ほ右感謝状は署名者に一枚宛無代にて配布の手筈なりしも、経費の都合上之れを許さず、実費を以て之れを分つ事とせり。
紀念品 水野主任は多聞店の製作に係る一号より六号迄の銀製紀念品を示して説明あり、一同の批評を乞ひしに、満場異議なく決定す。
其他紀念写真帳は目下製本中なれば、数日中に出来、配布の運びに至るべしと報告をなせり。斯くて第二回委員会の閉会を告ぐ。
帰朝以来残務整理主任として、種々斡旋の労をとりたる水野幸吉氏は其整理の進捗と共に帰任を急ぎ、夫人・令息・令嬢と共に、四月六日横浜出帆地洋丸に便乗せるに依り、渋沢男・同夫人・神田男・同夫人・中野・大谷・佐竹・日比谷・根津・岩原・左右田其他多くの団員諸氏は、新橋或は横浜埠頭まで之を見送れり。

(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.458掲載)