「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1910(明治43)年1月10日(月) 第1回渡米実業団残務整理委員会開催

竜門雑誌』 第260号 (1910.01) p.48-49

    ○渡米実業団残務整理委員会(第一回)
一月十日午前十一時より東京商業会議所に於て第一回実業団残務整理委員会を開催せり、出席者は青渊先生を始めとし、土居通夫・大谷嘉兵衛・松方幸次郎・上遠野富之助・日比谷平左衛門・佐竹作太郎・根津嘉一郎・岩原謙三・水野総領事・巌谷季雄・加藤辰弥の諸君にして会議に先だち青渊先生より、兼ねて宮内大臣へ伝献の儀を願ひ出でたる太平洋聯合商業会議所よりの金製ダイヤモンド入徽章及び合衆国造幣局よりの金牌献納に就ては、此程岩倉宮内大臣より畏き辺に進達されしに、殊の外御満足に思召めさせられ、先方へ然るべく伝達あるベしとの御諚あらせられし旨、本月五日附を以て御沙汰ありたる旨の報告あり、次で左の事項を決議したり
一 紀念写真帖印刷の件
  団員一同及旅行中随伴の米国委員の写真を集めたるもの
  装釘等は美術的なるを要し、調製方は特別委員附託
一 団誌の件
  実業団出発前より帰朝後に至る団に関する凡ての記事約五百頁
一 感謝状の件
  特に意匠を凝せる絹地織出しの見事なるもの
  謝状には団員自署す(但し正賓・専門家に限る)自署者には一葉宛配布す
一 謝礼紀念品の件
  特に意匠をこらせる銀製の盛花鉢
一 残務執行方法の件
  相談役を渋沢男爵に、委員長を中野氏に、残務主任を水野氏に、編輯主任を巌谷氏に、庶務会計を加藤氏に嘱託して残務執行の事
一 委員会の件
  自今委員会は事件のある毎に委員長随時に召集す、但し出席者の多少に拘らず開催する事
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.456掲載)


渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.623-629

 ○第三編 報告
     第十章 残務整理
昨年十二月十六日、米国より帰朝の途、地洋丸船中に於ける総会開催の結果、解団後残務整理の為め、東京正賓・各地商業会議所会頭(但し名古屋は副会頭)等を委員に挙げ、米国各地に於ける商業団体、其他米国官民にして、実業団の為めに斡旋の労をとられたる向に、夫々表謝の事。本団の訪米顛末を周く世に知らしめ、且つ永く記録として参考に資せん為めに、団誌を編纂する事。及び解団式後本団に関する各種の残務を整理する事等を委任し、是等に要する種々の費用は、正賓及び専門家の寄附になる資金を以て、之れが費途に充る事等を議決せり。
   第一回委員会
斯くて帰朝後、第一回委員会を明治四十三年一月十一日(マヽ)、東京商業会議所内に開く。当日の出席者左の如し。
  渋沢男爵・土居通夫・大谷嘉兵衛・松方幸次郎・上遠野富之助・日比谷平左衛門・根津嘉一郎・岩原謙三、外に水野幸吉・巌谷季雄・加藤辰弥
当日事故の為め欠席せるは左の如し。
  中野武営・西村治兵衛
此第一回委員会に於て決定せる事項左の如し。
一、団誌編纂  実業団の出発前より帰朝後に至る間の、本団に関する詳細なる記事を編纂し(約七百頁)之れを団員及び本団に関係ある当局・会議所・新聞通信社・図書館其他へ配布し、周く世人をして本団の行動を知らしむる事。
一、感謝状  米国各地の商業会議所・学校・工場、其他の団体にして、本団の為めに斡旋尽瘁せる向に贈与すべき感謝状は、京都高島屋見本に憑り、之れに日米両国に因める意匠を凝らしたる、横二尺・縦三尺の西陣織額地を製作し、感謝文は、渋沢男の手になりたる揮毫を其儘織出し、尚ほ正賓・専門家の自署を悉く織出せるものとす。(巻頭所載)
一、記念品  接伴委員長ローマン氏始め、終始本団に随伴せし、各地商業会議所代表者・政府派遣委員・各商業会議所書記長・各地鉄道会社代表者・在米帝国臨時大使・総領事・領事及び名誉領事等にして、間接直接、本団の行動に対し、援助又は斡旋の労をとられたる向に贈呈すべき銀器紀念品は、東京多聞店主益田英作氏に之れが製作を依頼する事、而して其意匠は四千年前周の時代に於て祭祀の際用ひし彜の形を採り、之れを純銀にて製作し、一号より四号迄の種類を作り、外に五・六号の花瓶を作り、併せて六種類とし、尽力斡旋の多少により、之れを贈呈する事。(同上)
一、紀念写真帳  実業団の一行及び随員、米国接待委員等の小照を集めて印刷し、之れを団員・接伴員及び関係会議所へ配布する事。
而して以上各種の残務整理の為め、渋沢男爵を相談役とし、委員長を中野武営氏、残務整理主任を総領事水野幸吉氏、編輯主任を巌谷季雄氏、庶務会計を加藤辰弥氏に夫々嘱託する事とし、委員会は事件のある毎に、委員長随時之れを召集して、出席者の多少に不拘開催する事とし、爾来各委員は着々其整理に従事せり。
[後略]
(『[渋沢栄一伝記資料』第32巻p.456-458掲載)


東京日日新聞』 第11887号 (1909.01.11)

    渡米実業団残務 記念品贈呈に決す
渡米実業団残務委員会は、十日午前十一時より東京商業会議所に開会渋沢男爵を初め、土居(大阪)大谷(横浜)松方(神戸)上遠野(名古屋)の各商業会議所会頭、及び日比谷・佐竹・根津・岩原・水野・巌谷の十一氏出席し、実業団誌編纂及び合衆国主人側に対する謝礼方法等に就き協議したるが、団誌は約五百頁の見込にて編纂し、別に記念品には、特に意匠を凝らせる銀製の花盛鉢に絹地織出の見事なる感謝状を調製して贈呈することゝせり、因に当日は中野委員長及び西村(京都)の二氏は欠席せりと
○第一回委員会ノ開催日ハ一月十日トセルモノト、十一日トセルモノ二通リノ資料アリ。茲ニハ姑ク十日トナス。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.458-459掲載)