「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年12月25日(土) 日本での報道「渡米実業団帰着」(東京経済雑誌)

東京経済雑誌』 第60巻第1522号 (1909.12.25) p.1102

    ○渡米実業団帰着
米国太平洋沿岸商業会議所の招待を受けて去る八月十九日ミネソタ号にて観光視察の途に上りたる我渡米実業団は爾来四ケ月間国賓として米国官民の叮重なる待遇を受け、両国の国交に貢献すること多大なるものあり、一行中一人の落伍者を出さずして本月十七日無事帰朝せり此日一行を載せたる地洋丸は、予定の通り午前七時横浜に入港、検疫の上九時半上陸、直に税関倉庫内横浜市の歓迎式場に列席し、横浜商業会議所副会頭来栖壮兵衛氏は起ちて歓迎辞を朗読し、之に対し渋沢団長答辞を陳べ、了つて一行は十一時十分横浜発臨時列車に搭じ、同五十三分新橋着、馬車或は腕車にて再び東京商業会議所の歓迎会に臨めり、同所に於ては午後一時より馬越恭平氏司会の下に、歓迎会を開き、大橋副会頭、東京外五大会議所を代表して歓迎文を朗読し、次で小村外相並に大浦農相の簡単なる挨拶、松尾日銀総裁の演説あり、渋沢男は起ちて、日程九十、留る処五十三の都市に就き、或は団員の快とせざる事無きにあらざりしも、孰れも能く之に耐へ、当初の目的を貫徹せしは、一に我団の守本尊たる奉公の念に依る、吾人の言動は一に誠二に実なりしと断言し、是にて歓迎会を閉ぢ、引続き解団式に移り、中野武営氏委員長として旅程経過を報告し、渋沢男より団長としての別辞あり、中野氏団員を代表して団長の労を謝し、二時より楼上に於て立食宴を開き、随意に解散せり
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.408掲載)