「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年12月21日(火) 鰻会主催歓迎会

竜門雑誌』 第260号 (1910.01) p.41-46

    ○青渊先生歓迎会彙報
△鰻会の歓迎会(廿一日) 鰻会にては廿一日午後五時より日本銀行社宅に於て青渊先生の歓迎会を兼ねて第六回官民懇話会を開きたり、当夜の出席者は左の如し
  桂首相兼蔵相・小村外相・平田内相・大浦農相・後藤逓相、仲小路逓信・若槻大蔵・押川農商務各次官、青渊先生・日比谷平左衛門・水野総領事(以上来賓)
  松尾臣善高橋是清添田寿一・益田孝・荘田平五郎・大倉喜八郎・朝吹英二・豊川良平・早川千吉郎・浅野総一郎・近藤廉平・団琢磨・佐々木勇之助・木村清四郎・山川勇木・池田謙三・浜口吉右衛門・波多野承五郎・三村君平・武藤山治和田豊治・佐々木慎思郎・原富太郎・野沢源次郎・伊藤長次郎(以上主人側)
先づ松尾男総代として歓迎の辞を述べ、青渊先生が長途の大旅行を果し能く其の目的を達して無事帰朝したるを祝するや、青渊先生は起つて、滞米中各所を巡歴し、到る処に於て非常の歓迎を受け、朝野知名の士と会見したる経過顛末、並に同国の商工業に就て感想談を述べ、次に日比谷平左衛門君の見聞談、桂首相の謝辞あり、之に対する青渊先生の謝辞に次で水野総領事の演説あり、午後十時頃散会せりといふ
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.418掲載)