「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

1909(明治42)年12月16日(木) 日本での報道「渡米実業団歓迎彙報」(東京日日新聞)

東京日日新聞』 第11861号 (1909.12.16)

    渡米実業団歓迎彙報
愈よ十七日午前七時地洋丸にて横浜着港の渡米実業団一行に対し、横浜・東京両市商業会議所及其他各方面に於ける歓迎準備は左の如し
△横浜商業会議所
 一、渡米実業団は十七日午前九時横浜新港(横浜税関埋立地)休憩所(第六号上屋)に上陸の事(此間奏楽)
  △横浜商業会議所の代表者(来栖副会頭・岡田書記長)は、予め同船の入港を検疫停船位置に出迎、諸般の打合を為す事
  △地洋丸外港より内港に入り岸壁に繋船迄の間煙火を打揚る事
 二、一行上陸後直に記念撮影を為す事(但実業団一行に限る)
 三、記念撮影後一行を式場に招じ横浜商業会議所代表者(来栖副会頭)一行に対し歓迎辞を述べ、渋沢団長答辞を述る事(此間奏楽)
 四、右の式を終り一行は直に馬車或は車にて横浜停車場に到り特別汽車を以て上京、東京・大阪・京都・神戸・名古屋・横浜六会議所開催の歓迎会に臨み、引続き一行の解団式を行ふ
 五、横浜商業会議所議員・特別議員及役員は、特に徽章を佩用(四十一年十月米賓の来朝したる時特製したるもの)休憩所に出迎へ、横浜停車場まで見送る事
△六商業会議所
 一、新橋停車場には予め数ケ所に出迎人共同待合所を設け、出迎人の便宜を計ること
 二、一行新橋着の上は直に馬車(日米国旗交叉)にて東京商業会議所内歓迎式場に赴くこと(式場入口には緑門を作り、場の内外は日米国旗を以て装飾すること)
 三、実業組合聯合会は新橋に於て一行を歓迎し、それより一行に附随して東京商業会議所に到り万歳を三唱す
 四、一行新橋着と同時に渋沢男爵は総代として参内天機を奉伺すること
 五、日比谷公園に於て一行新橋着と同時に数十発の煙火を打揚ぐること
 六、一行の横浜発時間は午前十一時十分にして新橋着は十一時五十三分とす
 七、歓迎者の便宜を計るため、東京商業会議所附近に臨時休憩所及(以下欠)
△右式次第 六聯合□□□□□□□□□(九字欠)・米国大使館員・実業家・新聞記者三百余名を陪賓として招待す、其の式の次第は左の如し
 一、一行到着少憩の後式場に案内す(陸軍楽隊)
 一、歓迎委員総代歓迎の辞を述ぶ
 一、来賓祝辞
 一、団長答辞(奏楽)
 一、歓迎委員退場、それより渡米団解団式に移る
△各方面の歓迎
 十八日 米友協会
 十九日 東京商業会議所
 二十日 銀行集会所
 廿一日 饅会[鰻会](渋沢男、日比谷氏を招く)
△出迎人注意 一行の家族の出迎者に対し、会議所より左の注意を発せり
 一、出迎人休憩所は新埋立地第六号繋船岸に設く、別に休憩所を設くるは随意なるも、一行は波止場より直に停車場に向ふ
 一、地洋丸は前記繋船岸に繋留の筈に付き、混雑の為め出迎人は可成本船に乗込まざること
 一、一行は上陸後波止場の休憩所より用意の馬車(会議所にて用意す)に乗じ直に停車場に赴くこと
 一、一行横浜発は午前十一時十分発の臨時列車に付き出迎人も可成之に乗込むこと
 一、但し出迎人は各自乗車券を購入するを要すること
 一、一行新橋着は十一時五十三分にて新橋には共同出迎人休憩所を設け置くを以て、各自之を設けらるゝ必要なかるべし
 一、一行は新橋より直に東京会議所に赴くに就き、馬車を用意し置きたるも、会議所にて歓迎会を了りたる後(凡そ二時頃)帰宅の際の御乗用は、予め各自に於て用意すること
 一、商業会議所にては当日多数の来賓あるため各関係者出迎人に対し所内に休憩所を設くるの余地なきにつき、門前に設けたる臨時休憩所を便宜使用すること
 一、一行の荷物は東洋汽船会社に嘱託せるを以て、延着等の場合は直に同社に御交渉すること
 一、汽車・馬車・人力車等の諸費用等にして一行外のものは各自負担のこと
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.409-410掲載)