「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年12月15日 日本での報道「米国一の富豪ロツクフエラー氏と会見す」(実業之日本)

実業之日本』 第12巻第26号 (1909.12.15)

    米国一の富豪ロツクフエラー氏と会見す
             渡米団特別通信員 加藤辰弥
  『二十五年宴会に出ない先生』
ロツクフエラー氏に訓話を聴くのは、准不可能の事だといふ人もあつたので、尚更会つて見たいといふ気になつて、どうかよい機会もがなと思ふて居つた。
すると我々実業団の一行は、オハヨー洲のクリーヴランド市に到着して、同地商業会議所の案内で晩餐会を受ける事となつた。同市はロツクフエラー氏の故郷である。併しロツクフエラーといふ人は、曾て晩餐会などに出席した事のない、極めて不思議な人だ。過去二十五年間に於て多数の宴会に出席したのは唯一度、即同氏の親友且郷友たるマツキンレー大統領の暗殺後、其紀念祭が同市の会堂で行はれた際に珍らしく顔を出した。是が唯の一度だ。今度も無論出るものかといふ噂であつた。然るに此日は前触れがあつた、しかも『古今無双の珍客がある』といふ前触であつたので、一同には一寸気が付かなんだ、誰だらうと噂し合つて、午後七時ホテルに差し廻されたる自働車で会場に往て見ると、接待委員の一人は余に向て、今日の御馳走は余程感謝して貰はねばならぬ、即是迄どこの宴会にも出席しなかつたロックフエラー氏が、今夜出席を快諾されましたといふ話であつた。
  『ロ氏、渋沢男と隣席す』
それは何よりの御馳走と、喜んで接待室へ通ると、其所謂大珍客は既に来会して接待委員の中に交はり、皺くちやの梅干顔で我等一行を迎へ、渋沢男は無論、誰れ彼れの区別なく、握手に談笑に頗る多忙であつた。
此米国第一の富豪、石油大王ロツクフエラー氏は渋沢男と食卓を共にし、水野総領事の通訳で双方共に愉快に談話された。一同ロ氏の演説があるだらうと予期して居つたが、演説は遂に出なかつた。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.200-201掲載)


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