「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

1909(明治42)年12月13日(月) 日本での報道「渡米実業団歓迎順序」(東京日日新聞)

東京日日新聞』 第11858号 (1909.12.13)

    渡米実業団歓迎順序
去る八月十九日東京出発渡米の途に就きたる我実業団の一行は、予定の行程を経て、愈よ来る十七日午前七時横浜着港の筈なるに就き、東京・大阪・京都・横浜・神戸及名古屋の六会議所代表者は、十一日夜東京商業会議所に於て歓迎準備に付き協議の上左の如く決定せり
△祝電の発送 来る十五日頃目下帰航中の地洋丸に向け、無線電信を以て左の祝電を発することに定む
  無事健康にて旅行の目的を遂げ、今や帰航の途にある各位に対し満腔の誠意を以て帰着を期待し居れり
△横浜上陸は十七日午前十時と定め、同波止場には休憩場を設け、暫時休憩の後一行は馬車にて横浜停車場へ赴き、午前十時半頃同地発の臨時列車にて上京の予定なり
△新橋停車場前の歓迎 六商業会議所議員は勿論、全国各商業会議所代表者は横浜まで、また内閣各大臣・貴衆両院議員・市府会議員実業家及実業聯合組合員は新橋停車場へ出迎へ、一行新橋着と同時に日比谷公園にて無数の煙火を打上ぐる事
△歓迎式に臨場 一行は新橋着の上、渋沢男一行を代表して直に参内、天機を奉伺し、又一行は夫々馬車にて商業会議所に於ける歓迎会に臨み、正午を期して式場を開き、歓迎委員総代大橋新太郎氏歓迎の辞を述べ、又来賓の祝辞ありて団長渋沢男の答辞あり、奏楽を以て終り、夫れより渡米実業団解団式を行ひ、中野同委員長の経過報告に次で、渋沢団長の各方面に対する謝辞あり、夫れより三鞭の杯を挙げて祝意を表する筈、当日は米国官憲及び各方面に対し夫々謝電を発する由なるが、一行は解団式を了りて、随時散会の予定なりと
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.408-409掲載)