「渡米実業団」日録

情報資源センター・ブログ別館

 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年12月6日(月) ホノルル上陸。商業会議所の出迎えを受け、農産物栽培地を巡覧。午後には景勝地や水族館などを見物し、午後5時出航。渋沢栄一は奉天総領事小池張造宛に電報 【航海第7日】

ホノルヽ商業会議所徽章

 「ホノルヽ商業会議所」徽章
(「紀念牌及徽章」 (『渡米実業団誌』巻頭折込)掲載)


渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.443-458

 ○第一編 第九章 帰航日誌
     第二節 ホノルヽ市
十二月六日 (月) 曇
 今暁右舷に、ダイヤモンド岬を見つゝ、徐々としてホノルヽ港に入る。午前八時検疫の後ち、ホノルヽ商業会議所代表者数名、並にホノルヽ総領事上野専一氏・同杉本書記生、其他日米の有志者十数名の歓迎を受く。已にして桟橋に着けば、布哇土人を以て編成せる楽隊は、嚠喨として君が代を奏し、在留日本人多数の出迎あり。一行は此等に挨拶の後ち、用意の自働車にて停車場に向ひ、夫れより特別列車にて二十哩を隔てたるワヒヤワ地方にバナヽ・砂糖・パインナツプルの栽培地を巡覧し、帰途エワに立寄り、製糖工場を視、而して十二時ホノルヽ市に帰る。直ちにヤング・ホテルに入り、屋上庭園を見、同所にて略式午餐を饗せらる。
 午後は更に自働車を列ねて、パリーの絶景を見る。此地は約百余年前の古戦場にして、眺望頗る佳なり。夫れより又市内に帰り、更に公園地水族館を見る。収集せる魚類には、色彩の美、形状の珍、本邦にては見難き物多し。
夫れより海岸のホテル・モアナに入り、食堂にて茶菓を饗せらる。此間渋沢団長は、一行を代表して知事を訪問せり。
 午後五時船に帰り、直に解纜す。元来当地の有志者は、一行の寄港を機として今夕盛んなる歓迎宴を張る筈なりしも、横浜着の時日に予定あれば、遂に之を辞するの止むを得ざるに至れり。
 ホノルヽ市にて、専ら一行の歓迎に尽力せるは当市商業会議所関係者及び有志者の諸氏にて、同胞にては拝田・井田・本重・三田村・本川・中村・曾我・時技・高桑・米倉・山村等の諸氏とす。
此日奉天領事小池張造氏に宛て、左の如き電報を発す。氏は先年米国に在りて、本団渡米の事に付ては、実に其動機を作れるの人たり。
    奉天小池総領事宛        ホノルヽ 渋沢栄一
渡米実業団首尾能く任務を了へ、今帰朝の途にあり、昨年貴官御配慮の日米交歓は一段の効果を収め得たりと信ず、当年を追想し、遥かに御健康を祝す。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.378-379掲載)