「渡米実業団」日録

情報資源センター・ブログ別館

 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年11月30日(火) 日本への発電「地洋丸の告別宴」(竜門雑誌)

竜門雑誌』 第259号 (1910.12) p.41-42

△地洋丸の告別宴(桑港十一月三十日発電)
一行は本日(卅日)午後一時東洋汽船会社の地洋丸にて帰朝の途に就く、九月シヤトル上陸以来三ケ月間、一行男女共一人の病者を出さず、一行強健にして此使命を全する事を得たるは、上 陛下の御稜威と下国民の後援に依る所と深く感謝す、一行は地洋丸にて朝餐会を催し、三ケ月間寝食を共にしたる米国側の歓迎委員と当地の重なる日米人都合五十名を招き、渋沢団長より一場の告別演説をなし知事代理・歓迎委員長等の答辞あり、甚大盛会なりき、地洋丸出帆の際は音楽隊の奏楽あり、見送の日米人は埠頭に充満し、万歳の声盛んに起る、尚ニユーヨーク以来宿題となれる日米両国商業会議所間の連絡を通じて相互通商の便宜を計かる件は、桑港着以来数回の協議を経て、二十九日夜左の決議をなすに至れり、即ち
  第一、双方の聯合商業会議所は協同して日米貿易の増進を計る事
  第二、右の目的を達せん為、特に双方に於て各自常設委員又は役員を置きて相互の連絡を執る事
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.360掲載)


参考リンク