「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年11月30日(火) 日本への発電「最終の歓迎夜宴」(竜門雑誌)

竜門雑誌』 第259号 (1910.12) p.41-42

△最終の歓迎夜宴(桑港十一月三十日発電)
廿八日午前はフエヤモント・ホテル内に茶話会を開き、午後はハギワラ公園を巡覧し、夜に入りて当地在留の日本人会主催の歓迎会に臨み、純日本料理の饗応を受け、宴後在留民の希望にて中野武営・大谷嘉兵衛・上遠野富之助・巌谷季雄氏等の演説ありたり、廿九日午前は各自専門に関する会社工場等を参観視察し、午後はマーチヤント・ヱキスチエンジに公式歓迎を受け、夜間はセント・フランシス・ホテルに盛大なる晩餐会を催ふされたり、其席上ギルレツテ知事、テーラー・スバイス議長、太平洋汽船会社のスチウエリン氏等交々起つて熱誠なる歓迎演説を試みられしに対し、渋沢・神田両男爵叮嚀なる挨拶ありたり、一行に随伴せる水野ニユーヨーク総領事は日本語に、頭本元貞氏は英語に各々通訳の労を執る事、当夜を以て実に百回余に及べり、斯て米国に於ける最終の晩餐会は、極めて愉快に又有益に相互の歓を尽して、深更に至り散会したるが、当夜の主人側たるギルレツテ知事は、曩に排日問題の起りし当時前大統領ローズベルト氏の旨を受けて熱心之に反対せる人なり、以て当夜の会合が如何に真実の度を進めしかを知るに足るべし
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.359-360掲載)


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