「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年11月19日(金) 渋沢栄一、穂積陳重宛に書簡を出状

渋沢栄一書翰 穂積陳重宛 1909(明治42)年11月19日 (穂積男爵家所蔵)

爾来毎々之信書被下、其時々落手拝読いたし候も、日々多忙真ニ寸暇を得す、乍思御疎情ニ打過申候
米国各地巡回之概況ハ、一・二回篤二まて申通候ニ付定而申上候事と存候、尤も貴方新聞紙にも時々記載之事と存候ニ付、御承知可被下候
○中略
実業団之行程も、最早九分通り相済ミ、当ロスアンゼルス市ハ明日ニて打上ケ、従是サンヂヤゴニ罷越し、更ニ北向して廿六日ニハ桑港着三十日ニハ無相違地洋丸乗組之都合ニ御坐候、到処之饗応と演説と、工場其他之見物ニハ、随分困難と申位ニ候、幸ニシヤトル市より今日まて四十五・六ケ処、一回も欠席なく勤続せしハ、自分なから驚入候位ニ御坐候、果して両国将来之交誼ニ親善を増し候哉否難測候得共、各地之商工業、又ハ政事界之人々にも相応之良観念を与候事ハ自信罷在候、右等を以て老生最後之務と覚悟致候事ニ候、御諒察可被下候、右来示之御答まて徐\々如此御坐候 不宣
  十一月十九日ロスアンゼルスニ於て   渋沢栄一
    穂積陳重

○下略
             ロスアンゼル市
  穂積陳重様     アレキサンドリア・ホテル
                渋沢栄一
十一月十九日
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.319掲載)


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