「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年11月11日(木) 日本への発電「セントルイ市の歓迎」(竜門雑誌)

竜門雑誌』 第258号 (1909.11) p.46-47

△セントルイ市の歓迎(セントルイ十一月十一日発電)
十日聖路易に着、コンマース・ナシヨナル銀行及び有名なるシムモンス金物商会を参観、取引所にて接見会あり、午後は米国第一のブリウイング会社醸造所を見物し、夜は聖路易倶楽部に盛大なる晩餐会あり、席上帝国名誉領事にて商業組合会頭なるスミス氏を始め、前知事にして前の博覧会会頭にして前市長なるウヱルスの二氏は、何れも我旭日章を有せるが、頗る好意的演説をなし、特に前二氏の好意に対しては一行の深く感謝せる所なり、次に市長タレイスマン氏・製造業組合会頭ビータース氏等の演説あり、渋沢団長・神田男の答辞例の如く、十一日は織物・靴等の大工場を始め、花園印刷所等を観、印刷会社長レウイス氏の午餐会に招かれ、夫より大学・公園等を巡覧し、夜は当市第一の劇場オリピツク座を観覧、夜半直ちにカンサス・シチーに向へり(十一月十五日締切)
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.320掲載)


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