「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年10月31日(日) 午前は自由見学、午後は歓迎委員と共にフェアモント公園などを視察 【滞米第61日】

竜門雑誌』 第270号 (1910.11) p.51-65

十月三十一日 日曜日 (晴)
午前九時ペンシルバニヤ大学商科大学々長、ホテルに青渊先生を訪はれ、中野氏も相会して種々談話の後辞去せられたり
午後二時青渊先生には自動車を駆りて、フエアモント公園及市外の見物を為し、帰宿の後頭本氏の紹介にて同地新聞記者の問に応じて、米国観想(マヽ)談を試みられたり
夜は夕食の後、午後九時列車に搭乗、十二時三十分華盛頓府に向つて発車す
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.246掲載)


渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.282-330

 ○第一編 第六章 回覧日誌 東部の下
     第十二節 フィラデルフィヤ
十月三十一日 (日) 晴
午前は各自随意に見物し、午後二時より歓迎委員より廻されたる自働車にて、フェイアモント公園、及び市外のチェストナット・ヒル勝景の地を見物す。公園中一道の自働車通過を許さゞるものありしも、特に一行の為めに禁を解きて、週遊を擅にせしめしは、大に多とせざる可からず。夕方一同帰館、夜は各自随時列車に帰る。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.257掲載)


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