「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年10月27日(水) 伊藤博文の訃報に対する弔電

渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.542-546

 ○第三編 報告
     第二章 電信雑輯
[前略]
デトロイト商業会議所会頭より、水野総領事に宛て、十月二十七日ニューワークにて接受したる弔電
  「著名なる愛国者にして、又政治家なる伊藤博文公爵の死を聞いて、一同驚愕に堪へず、当商業会議所の深厚なる同情と哀悼の意を、渋沢団長及実業団員に伝へられんことを請ふ」
右に対して水野総領事は一行に代り
  「同情ある弔電に対し、渋沢団長始め、実業団員一同は深謝し居れり、世界が刻下斯の如き先見達識の士を要すること、最も切なる時に際し、此大政治家を失ひしことは、啻に日本の損失のみならず、全世界の為めに悲むべきことなりと信ず
十月二十七日、紐育絹業協会ホーマー氏より、実業団渋沢団長に宛て
  「日本随一の政治家にして愛国者、而かも予の相識の人たる伊藤公爵の暗殺に関し、貴国民及貴下に対し、痛切なる哀悼の意を表す」
右に対して渋沢団長は、同日
  「伊藤公薨去に関する貴下の親切なる電報に対し、団員一同深謝す、予は最も深き悲しみに沈めり」
と返電せり。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.268掲載)


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