「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年10月26日(火) 日本への発電「伊藤公凶変と一行の哀悼」(竜門雑誌)

竜門雑誌』 第258号 (1909.11) p.43-46

△伊藤公凶変と一行の哀悼(スプリングフヰールド十月二十六日発電)
今日伊藤公爵凶変の報を耳にし、一行は当初之れを疑ひしも、次で其事実確かめらるゝに至つて何れも驚倒せり、依つて一行は深き弔意を表すべく、今夕招待され居りし晩餐会を辞退し、何れも謹慎する事とせり、尚右に就き一行は当国各商業会議所より続々弔意弔電を受け、各新聞紙は深く哀悼の意を表せられ居るを見る
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.261掲載)


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