「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年6月20日(日) 報道『中外商業新報』 第8313号 (1909.06.20)

中外商業新報』 第8313号 (1909.06.20)

  ○渋沢男と渡米
     赤毛布師団は斥くべし
 米国商業会議所の招待に応ずべき渡米の実業家は、今や正しく選定中なり、茲に於てか最も注目すべきは渋沢男の進退也、固より男をして之に応ぜしめん事は、朝野の希望に依り、独り米会議所の満足を博し得べきのみならず、日米両国の親交を層一層に深からしむべく、之には男を差措いて他に然るべき人物を認めず [後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.42掲載)