「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年6月11日(金) シアトル領事より来電「人選は十分注意を。現地では渋沢男爵による人選、および可能な限り夫人同伴を希望」

渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.14-72

[前略] [シアトル在住田中領事の電報は] 六月十一日には、米国側に於ける接待準備著々進行せる旨を報じ、更に我実業家は、米国内到る所にて十分の歓迎を受け、各種の便利を与へらるべきこと、最早疑ふの余地なきこと、及び本件が日米両国の国交通商上に及ぼす利益の極めて大なることを信ずるにより渡米者の人選に十分の注意ありたく、殊に一行の団長たるべきものは経歴名望兼ね備はる人たるべく、而して太平洋沿岸商業会議所は、一般に渋沢男爵が其任に当らんこと、及び渡米実業家は、事情の許す限り、夫人を同伴されんことを、希望し居れる旨を電報し越したり。[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.27掲載)