『渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.14-72
[前略] 我一行渡米の期近づくにより、米国側にては着々準備を進行し、太平洋沿岸聯合商業会議所特別委員会を、一九〇九年六月九日、華州シヤトル市に於て開会せり。出席者左の如し。
桑港商業会議所代表者 ウヰリヤム・エム・バンカー
ポートランド商業会議所代表者 オー・エム・クラーク
ロス・アンゲレス商業会議所代表者 フランク・ウィギンス
スポケーン商業会議所代表者 エフ・イー・グッドオール
シヤトル商業会議所代表者 ゼー・ディー・ローマン
同 イー・エフ・ブレーン
バンカー氏はブレーン氏を座長に推す事を発議し、ウィギンス氏の賛成あり、議題となり、可決。
クラーク氏はバンカー氏の賛成を得て、本委員会は此際日本実業家の旅費及接待費として五万弗より尠からざる醵金(其金額は其他の雑費をも支払ふべきことゝす)を求むべきことを提議し、可決。
グットオール氏はバンカー氏の賛成を得て、本委員会はエリオット氏(北太平洋鉄道会社長)を訪問し、特別列車及時間表調製の儀を相談すべきことを提議し、是亦可決。
ウィギンス氏はグットオール氏の賛成を得て、此委員会にて今後用ゆべき文書には、「太平洋沿岸聯合商業会議所」の名を用ゆべく、尚ほ日米両国の親和を意味する印章を調製し、今後通信には、右の書簡紙及状袋等も、皆聯合商業会議所の名義を以て、右の記章を有するものを用ゆべきことを提議し、可決。
グットオール氏は、バンカー氏の賛成を得て、日本実業家の訪問する太平洋岸の各市は、其訪問中、日米両国の国旗を以て、潤沢に装飾するやう必要なる打合せ、及準備を為すこと、又日本来賓が滞在せずとも、途中通過すべき都市に於ても、然るべく日米の国旗を飾立つるやう取計らうこと、尚ほ日本来賓は、九月三日ミネソタ号にてシヤトルに着すべきにより、委員は一行が十一月三十日地洋丸にて、桑港を出発帰国し得るやう、旅程表を調製すべく提議あり、可決。
バンカー氏は、クラーク氏の賛成を得て、旅程表をエリオット氏に提出すべきことを発議し、是亦決したり。[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.24掲載)