「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年4月13日(火) 米国準備委員、アメリカ東部を巡回して鉄道会社社長(ブラオン、ハリマン)に協力を要請

渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.14-72

[前略] 右[1909年4月12日]の翌日、エリオット氏に伴はれて、委員等は紐育中央鉄道会社の社長ブラオン氏を訪問したり。委員がブラオン氏に此計画を説明するや、同氏は直に商業上の事態如何なるべくとも、日本人を招待することは極めて必要なることにして、[中略] 彼等をして米国人民が日本に対して抱ける真正の感情を知らしむることは、太平洋を横断して米国の大戦艦を送る為めに石炭を燃焼し多大の金銭を費すよりも遥かに有益なりと確信する旨を述べたり。
同日委員は更にハリマン氏に会したる所、同氏はヒル氏又はブラオン氏の如く熱心ならざりしも、而も尚ほハリマン氏の管轄に属する鉄道は其費用の分担を欣諾すべく、尚ほハリマン氏は市俄古に駐在せる副社長スタッブ氏へ書面を以て申送る所あるべきにより委員はスタッブ氏と委細の相談すべしと告げられたり。(後ち委員は市俄古に到着したる際取調べたる所に依れば、ハリマン氏がスタッブ氏に寄せたる訓令は、委員等がハリマン氏に面会の節、同氏が表したるよりも更に積極的の性質を帯びたるものなりしことを発見したり) [後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.20掲載)