「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1910(明治43)年1月27日(木) 自治協会招待会

渋沢栄一 日記 1910(明治43)年 (渋沢子爵家所蔵)

一月二十七日 晴 寒
○上略 自治協会ノ集会アリテ交詢社ニ抵リ、晩餐前一場ノ米国旅行談ヲ為ス、畢テ会員ト共ニ夜飧シ、腹部悪シキ為メ、中坐シテ王子ニ帰宿ス ○下略
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.424掲載)


竜門雑誌』 第261号 (1910.03) p.38-39

    ○自治協会招待会
一月二十七日午後六時交詢社楼上に開会、出席者六十余名にして、大要左の如き青渊先生の米国旅行談あり、別室に於て晩餐会を開く
△馳走を自慢する風 米国人は饗応の際決して謙遜せず、コロネル大学へ招かれたる際、某教授は同地の水が大自慢なりとて、喋々水の効用を演説し、酒の代りに水を馳走せり、又ダルーズにては有名なる湖水の白魚を馳走する故、運動せよとて案内さるゝ儘、終日湖水・公園等を遊び廻り、晩餐の食卓に着けば白魚とスープの外はパンも碌々食へぬ始末に、一行這々の体にてホテルに逃げ帰りし滑稽もありし
△強き公共的精神 米国民の公共的精神強烈なるは只驚歎の外なし大資産家にして子なきものは、公共事業に向て大に其財産を寄附するが故に、コロネル、エール、ウヰスコンシン、シカゴ等の諸大学は、何れも寄附金によりて設立され居り、殊にシカゴ大学にはロツクフエラー氏二千万弗を寄附したるにより、其設備は到底州立大学の企及すべからざる善美を尽すに至れり、其他カーネギー氏が全国に二千余の図書館を設立し、デトロイト州のフリヤ氏が独力にて日本の美術屏風二百六十双を州に寄附したるが如く、国民一般に公共的精神充実し居るを以て、凡ての公共事業は公立よりも私立の方余程完備し居れり
△道路其他の改善を望む 我等の旅行がシヤトルに初まり、桑港に終れる三ケ月一万一千哩の長旅程にして、其間に通過したる都市は五十三なりしが、到る所自働車をやる大道路あり、其間何等妨害となるものを見ず、然るに我国の現状は道路と公園の差別を没し、狭隘なる道路に於て羽子をつき、小供の鬼遊を為すなど、今後幾多渡来すべき外人の観光団に対して、折角来遊するも歩するに困難を感せしむるは遺憾此上なし、此点は旅館の設立と共に国庫補助を得てなりとも、是非早く改善を希望せざるを得ず云々
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.430-431)