「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年12月2日(木) 日本政府、松井在米臨時代理大使に謝意申入れの件で訓令

渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.618-622

 ○第三編 第九章 雑件
     第五節 帝国政府より米国政府へ謝意申入れの件
[1日より・前略] 然るに曩きに実業団が米国の招待に応じ、渡米の事決定せるに際し、在米国大使は本国政府の訓電に基づき、右応招に決定の趣を聞き、欣喜に堪へざる旨を我外務大臣に申入れたる次第もあり、旁帝国政府は渋沢団長より右の電報に接するや、米国政府に対して、帝国政府の謝意を表彰することを必要なりと認め、在米松井臨時代理大使に訓令して、帝国政府の謝意を米国政府に申入れしめ、松井臨時代理大使は、十二月二日右の訓令に接したり。
之れより先き、在華盛頓帝国大使館に於ては、渋沢男爵が桑港より発したる「三ケ月の旅程到る所望外の好遇を享け、愈十一月三十日を以て帰朝の途に就くべし。」との電報に接し、同日恰も国務卿接見の例日なりしを以て、国務卿に面会の際、渋沢男の電報に接したる旨を告げ一行は頗る米国官民の待遇に満足し、無事任務を果して本国に出発したるは欣喜に堪へざる旨を述べ置きたるが、[後略・3日へ]
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.382掲載)