「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年8月27日(金) 航海10日目 - 大北汽船会社社長に対し、快適な旅を感謝

渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.554-555

  ○第三編第三章感謝の決議
     第四 往復汽船に対する決議
千九百九年八月二十七日「ミネソタ」号航行中、日本渡米実業団員は左の決議を通過したり。
「吾人は大北汽船会社々長ルイス・ヒル氏に対し、我団渡米の航海中、『ミネソタ』号の船長及船員の任務に忠実なること、及経営の行き届きたることに対し、吾人の深厚なる認識を表す。尚ほ吾人は本船の船長及船員が、我一行に対し安全且つ愉快なる航海を為さしめんが為めに万般の手段を講ぜられたること、及行届きたる親切に対し感謝の意を表すること。
一行は前述の汽船会社代表者シー・エッチ・マックウィリアム氏が特に一行の為めに航海を倶にし、又旅中の愉快を図り、一行の求むる処に応ぜられたる配慮に対し感謝の意を表す。」
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.81掲載)


渋沢栄一 日記 1909(明治42)年 (渋沢子爵家所蔵)

八月二十七日 曇 冷
午前六時半起床、入浴後室内ニテ喫茶ス、八時半朝飧ヲ食ス、後船室内ニテ中野・岩原・堀越諸氏ト一行ノ分課及其人撰ノ事ヲ内議シ、更ニ各商業会議所会頭ト会議シテ、原案ヲ示シテ分掌ノ順序ヲ協議ス、午後一時午飧ス、後各商業会議所其他ノ委員ヲ会シテ、一行ノ各課分掌ノ順序及其人撰等ノ事ヲ談ス、同船ノ米国人ヨリ明日船中ニ於テ祝盃ヲ挙クルノ催アル事ヲ聞知セシニヨリ、之レニ答礼スル為メ、神田・岩原・松方・堀越四氏ヲ委員トシテ其方法ヲ調査セシム事トス、夕七時晩飧シ、後喫煙室ニテ一行ノ囲碁ヲ観、又遊戯ス
(『渋沢栄一伝記資料』』第32巻p.56掲載)


竜門雑誌』 第262号 (1910.03) p.41-49

    ○青渊先生渡米紀行
         随行員 増田明六記
八月二十七日 金曜日 晴
風尚止まず、船体動揺依然たり
午前十時青渊先生の船室に於て委員会を開く、先生議長となり、団員一致の行動を取る必要上部署を定め、其事務は団員に嘱托せんとする事を計られたるに、一同異議なし、即ち部署を左の如く定め、其嘱托員は先生に一任する事に決せられたり
  一幹事
  一新聞検閲掛
  一庶務掛
  一会計掛
  一記録掛
  一随行員は各其主人の事務を補助する事
尚一行の上陸後混雑間違等を生ぜざる様、一行の組分を為し、各組に一名づゝの組長を設け、組長は其組員に団長命令の伝達、巡回各地の発着及招待会等に於ける時刻の通知を重なる事務とする事、而して其組分及組長の嘱托は、各地商業会議所会頭に一任の事を決せらる
甲板に於てはチヤンピオン連中の競技盛にして、喝采の声海波を圧倒せん計りなり
一等船客中の米国人を代表してコロラト州議会上院議員ヱー・エム・ステブンソン氏外十一名より左の案内状を受取る
 ミネソタ号に在る日本の親友に一書を呈す
 本船に乗組める米国人を代表して、下記のものは我々の海岸に接近したる此際に於て、我国に来遊せらるゝ日本実業団一行を誠心誠意を以て歓迎せんと欲す、依て此歓迎の意志を表し、且我国を愉快に旅行せられん事を希望し、茲に茶菓を用意致候に付き、来二十八日午後三時半喫煙室に御来会被下候はゝ幸甚に候   千九百九年八月二十七日ミネソタ号に於て
             コロラト洲デンバー
                 ヱー・ヱム・ステブンソン
             ニユーヨーク市
                   ヱス・ヱル・セルデン
             横浜、大北鉄道会社支店
               シー・ヱフ・マツクウイリアム
             同市在留
                 ジヱー・アール・ゲーリー
             モンタナ州ヘレナ市
                  ダブリユー・ワーレース
             加州サンフランシスコ市
                      ヱータルボツト
             コロラト州デンバー
             ドクトル、ヱス・デー・ホプキンス
             ワシントン州スポケーン
               陸軍大尉ジヱー・ホツトマン
             マニラ市
                    ダブリユー・ロード
             同
               ジヱー・ダブリユー・クイレン
             同
                   アール・ヱム・ロパー
             アリゾナ州ホニツクス市
               ジヱー・ダブリユー・ドーリス
右に対し青渊先生より直に其厚意を謝し、且当日は一同必ず欣然参会する旨回答せられたり
正午航程三〇八浬、北緯五十度十二分・西経百五十七度三十五分、風北西
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.72-73掲載)


渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.75-86

  ○第一編 本記
     第二章 渡航日誌
八月二十七日(金)曇
午後食堂に委員会を開き、団長各分担を定めて、左の如く各員に通知す(団長指名)
「幹事」中野・松方・堀越・頭本、「庶務」大谷・上遠野・渡瀬・松村・田村・高辻・西池、「会計」土居・西村・佐竹・日比谷、「新聞検閲」頭本・高石・石橋・西池、「記録」巌谷、
同船米国人一同より、明日午後三時、我が一行を招待して、喫煙室に小宴会を開く由申込あり。即ち団長指名にて、神田男・岩原・松方三氏之に対する諸般の打合をなす。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.79掲載)


ミネソタ号の正午位置 (北緯50度12分・西経157度35分)


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