「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年8月24日(火) 航海6日目 - 寒気身に沁みて冬服着用(アリューシャン列島付近航行)

渋沢栄一 日記 1909(明治42)年 (渋沢子爵家所蔵)

八月二十四日 曇 冷
午前六時半起床、入浴シ、畢テ甲板上ヲ散歩ス、八時半朝飧シ、後読書ス、又昨日一覧セシ米国案内記ヲ読ム、午後一時午飧シ、後甲板上ヲ散歩シ、又喫煙室ニテ人ノ囲碁スルヲ一覧ス
夕七時晩飧ヲ畢リテ喫煙室ニテ遊戯ス
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.56掲載)


竜門雑誌』 第262号 (1910.03) p.41-49

    ○青渊先生渡米紀行
         随行員 増田明六記
八月二十四日 火曜日 細雨蕭々
二十三日の正午、北海道函館辺と同緯度の海上を航行し、尚漸次北東に進みしものなれは、今日は朝来寒気身に泌みて、間服にては我慢し切れざる程なりけれは、青渊先生も冬服を着用せられたり
霧未た深くして甲板運動も不愉快なりとて、先生には朝食前より日米交渉五十年史を携へて読書室に入り、午前中を茲に費されたり
喫煙室にては、前日来開始せられたる碁・将棋の競技を始め、五目並べ十六武蔵・トランプ・闘珠盤等の戦午前中より頗る盛にして、孰れも脇目も触らず夢中の体なり、茲へ甲板に於ける競技委員が順番の来たのに何ぜ出て呉れぬとて怒鳴り込む、又甲板にてはデツキビリヤート・輪投・毬投・競走等の競技中々盛んにして、一等船客総出の賑なり
青渊先生は午後喫煙室に出てゝ碁・将棋等の競技を傍看、批評せられたり
正午航程三百三十五浬、位置北緯四十六度十四分・東経百七十一度四分、風南
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.70掲載)


渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.75-86

  ○第一編 本記
     第二章 渡航日誌
八月二十四日(火)曇
 無事
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.79掲載)


ミネソタ号の正午位置 (北緯46度14分・東経171度04分)


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