「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年5月4日(火) 在シアトル領事より来電「サンフランシスコも参加する形勢」

渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.14-72

[日本排斥運動の盛んな折、日本の商業視察員招待について議員の反対を受け、サンフランシスコ商業会議所ではカリフォルニア州は止むを得ず招待を無期延期、もしくは中止との見通しであったところ]
[前略] 然るに其後五月四日に至り、在シヤトル帝国領事の来電によれば、シヤトル其他の商業会議所代表者、東部諸州訪問の結果、各鉄道会社は勿論、通過すべき各都市よりも、熱心なる賛成を得、万事好都合に運びたるのみならず、尚ほ桑港も国務卿及び其他の有力者の意見と斡旋とに因り遂に此招待に加盟することゝなるべき形勢となりたる由なり。[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.19掲載)