「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1926(大正15)年3月17日(水) 渋沢栄一、J. P. グードに宛てて書簡を出状

渋沢栄一書翰控  ジェー・ポール・グード宛 1926(大正15)年3月17日 (渋沢子爵家所蔵)

      案
           (別筆)
           増田氏の訂正及承認を経たるものなり
市俄古市
 ジェー・ポール・グード殿
  大正十五年三月一日
                     東京
                      渋沢栄一
拝復、昨年十二月廿二日附尊書正に落手難有拝誦仕候、爾来御無音に打過ぎ誠に失礼仕候処、貴台には御壮健にて御活動の由、何よりの儀と奉慶賀候、老生も健全にて消光罷在候間、乍憚御省念被下度候
個人的悪感情が導火線となり、終には国際関係にも重大なる影響を及すに至るとの貴見より、先般の排日移民法通過も、畢竟相互の国情に暗らき結果なりとの御断案を以て、貴国民に日本の国情を諒解せしめんと屡々御講演を試みられ候由拝承致、不相替両国親善の為め御尽力被下候不断の御厚意を感謝致候
貴台御夫妻には昨秋我国に御渡来被成度御予定の処、令夫人には州議員に御当選相成り、又貴台は極めて重要なる化学研究に御成功相成、引続き其御研究の必要上、右旅行も延期の止む無きに至り候由、御旅行延期の為め久々にて拝眉し得る機会を自然延引致候事は遺憾に候得共、貴台並令夫人が各主要の目的を達せられ候事を貴台の友人たる小生は衷心より悦居候義に候、併両三年中には世界漫遊の途に上られ候由に候へば、其節には是非我国に御立寄被下度、今より期待致候
去る明治四十二年の秋貴国を訪問せし我々実業団員が、我邦人の誰もが未た経験せさる極めて愉快にして有益なる視察を遂げ得たりしは、全く貴台等が御心から御懇篤なる御待遇を与へられし結果と、深く感謝罷在候、今度尊書に接し、当時の状況を追懐し、更に感謝の意を深ふしたる次第に候、烏兎匆々爾来十八年、当時の我団員中には故人となれる人々も少なからず候、御懇請に従ひ同団員人名表別紙の通り作製御送付申上候、過ぐる大震火災の際同団に関する書類も悉く烏有に帰し候為め、乍遺憾故人の死歿年月日を詳にする能はず候間、此儀何卒御諒承被下度候
右返事旁々得貴意度如此御座候 敬具
  ○団員名簿略ス。
  ○右英文書翰ハ大正十五年三月十七日附ニテ発送セラレタリ。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.482-483掲載)